harpmoon’s diary

繊細でフラフラな日常を送るひとの日記

生きていても死んでいても

20代の後半、恋に仕事に突然の治らない病、セクハラ、

盛りだくさんの悩みで、あげくの果てはここには書ききれない危ない誘い

などもいろいろあり、最後の最後の頼みの綱まで切れ、

何もかも嫌になってしまったことがあった。

仕事を辞め、一か月何もせず、

あまり記憶にないのだが、朝起きて、図書館で借りた「世界の名画」のような

画家の生涯や鑑賞ポイントなどが書かれたものを更に自分なりにノートに

一心不乱にまとめ上げ、

午後は30分歩いて海に行き、ただ海を眺めて、死生観というか、

生きるとは、神とは、と毎日ただひたすら考えてみるということを

したことがあった。

 

そこで得た答えは今になってもなかなかいい線いっていると思う。

 

このあと、急な思いつきにより結婚することとなったのだが、

人生最高の時という、当初うきうきした気分は全くなかった。

過酷な10代20代を癒すために設けられた時間、

今にして思えば、子供が産れる前の結婚してからの5年間はとても

楽しい時間であったと思う、幸せとは通り過ぎてからわかるものだ。

子どもが産れてからはまた違ったフェーズということだ。

 

今となれば当たり前のような気もするが、神とは何か頂点に君臨する

髭のおじいさんがいるわけではなく、

宇宙に浮遊する意識体の光のあえていえば、

その中でもより一層輝くものではないかと思う。

一つの個体ではなく、

意識の集合体のより研磨された集団の部分がしいていえば神ではないかと。

   ↑ いまでいうワンネスであり源ということか

 

そして、空に手を伸ばして光にかざしても何にも届きはしなかった。

(20代女子が一人で海にいてこのような様子はとても怪しい)

 

また数々の天から降って来たような不幸はなぜ起きるのか、

自分は何もしていなくとも突然、第三者の行動により巻き起こされる

不幸というものは一体どうすれば…

たどり着いた答えは、その時どんなに天から降って来たように感じられた

不幸も、結局回避できるのは自分ただ一人で、

他の誰にも助けられない。

 

たとえ、

空から爆弾が落ちて来たとしても、その日、その道を選択したのは自分であり、

他の誰も自分を救えない、この世で自分を救えるのは自分ただ一人だ。

セクハラにあったとしても自分に一切の責任があり、

他人のせいにしていてはどこにも進めないのではないかと結論にいたった。

 

これを認めるにはだいぶ時間はかかった、セクハラの被害者に悪いのはあなた

ですよ、と突然いっても受け入れられるものではない。

実際にどちらが悪いか、という善悪ではない、

もちろんセクハラを行った方が悪いのだが、

この不幸をいつまでも、この相手に向けていてもはじまらない、

この不幸を避けられるとしたら、自分だけだということを認めるという事だ。

 

生きる意味は?

魂の成長の為?修行をしている?これも何かわかったような、

わからぬようなことではあるが、

「虫けら」などという言葉もある、虫と自分は何が違うのか、

虫、例えば蚊などが腕に止まれば容赦なく叩き潰して殺してしまう、

この虫と自分の価値はそんなに大きく変わるものなのか。

虫の生に意味はなく、人間にだけ特別な意味や価値があるのだろうか、

いや、同じかもしれないとこの時は思った。

結果、人生に特別な意味なんて存在せず、

ただ生きるということではないかと思う。

 

最近、生きていても死んでいても会えない事には変わりがない、

この世に生きている事が分かっていても、絶対にもう会えない人という

ものは存在する。

亡くなって会えなくなる事とどんな違いがあるのかと。

そんなふうに考えるようになった、まして私は「死んでも魂は存在する」

と思う派なので、亡くなって会えない寂しさも、

生きていて会えない寂しさも変わりがないなあ…などと思う。

また、夢は霊界に帰ってこの世の雑事から解放されて魂を癒している

という話も聞いたことがあり、夢で逢った懐かしい友人や恋人に、

今日は霊界?夢で会えたんだなあと思う事にしている。

 

あれから何年か経過しているので、また新たな局面に来たと思う。

段階を踏んで少しづつ何かを得ている。

 

最近では修行の概念は古いようなので、人生を楽しむ為に地球に

きた、何もない真空の宇宙では経験できない

事を感じる為に遊びにきたようだ、少し激しい人生であった

ので、これからは「楽に、楽しく」の部分を体験したい。

あえて地球の動乱期を自分で選んだライトワーカーだ!

なんていうことなので、自分がライトワーカーのつもりで、

よい波動を少しでも起こせたらよいと願う。