harpmoon’s diary

繊細でフラフラな日常を送るひとの日記

スピリチュアル的思考ー本当に納得してますか?

 

「ふわふわ春色チューリップ | フリー素材のぱくたそ」の写真

 

 

スピリチュアルを好む方ならよく聞く言葉、

繰り返し語られる最もシンプルなこと。

それを聞いて分かったつもりでいたけれど、

本当には実践できていない、ピンとこないという事はありませんか。

そんなもののひとつに、

わたしたちは「生かされている」とよくいわれますが、

それを聞いても、すぐに心から感謝とはいかなかったのです・・・

 

しかし、

最近、自分なりにこんな感じかなと思うのです。

 

 

疑問その一 生かされている事に感謝

 

人は生かされているのだから感謝しなければいけない

 

そうなんだろうな、と思いつつも不謹慎にもピンと来ていませんでしたが、

まず、

魂と体は別物であり、完全に魂の方が主体であり本体と考えます。

すると、

日頃は自分のもの、あるいは自分自身であると思っている体は何か?

地球で遊ぶ乗り物、または3次元の物理的世界を体験するためのツール

であり、借り物なのです。

そして、自分では何の努力もなしに動く自動運転の乗り物。

怪我をすれば治してくれるし、

風邪をひけば熱を発生してウイルスを撃退してくれる、

ありがたいことですね。

借りている自動運転の乗り物に対して「いつもありがとうございます

と本体である自分は自然と感謝することができるような気がします。

いかがでしょうか。

もしくは、

人にモノを借りていれば「貸してくれてありがとう」と感謝できますよね。

あくまで本体は魂です。

 

お酒を飲みすぎたりした時に、肝臓などに「いつもごめんね」など

の声をかけるとよいと言っている方もいました。

体は小宇宙であり、何兆個という細胞や菌などが働いています。

そしてそれらは日頃自分であると思っていますが、

本体の自分(魂)ではない、他の生き物です。

「働いてくれてありがとう」 = 「生かされていることに感謝」

 

「今更何を言っているんだ」と怒らないでくださいね・・・

 

疑問そのニ ジャッジをしてはいけない

 

ジャッジしてはいけない」というのもスピリチュアル界隈でよく聞きますね。

 

「いや、わかっているんだけど、ついやっちゃうんだよね」

っというのが人情というもの・・・

意見が違う人や理不尽な人がいれば、心の中で勝手に湧き出る思い

はありませんか。

 

これは、

カルマの法則が絶対的に存在するものであると仮定すると、

ジャッジは不要である」となり腑に落ちます。

 

ジャッジって大概マイナスの感情で、世の中のニュースや、

身近な職場の人間や家族などに対して行うものではないかと思うのですが、

仮に犯罪者がニュースに出てきたとして、

自分がジャッジをしなくとも、カルマの法則で必ずその人物は今世か、

次の人生かわかりませんが、自らの行いを刈り取る作業が課せられるので、

他人のジャッジや裁きはムダであり不要なのです。(宇宙的視点)

(現世の裁きが不要で犯罪し放題ということではないですよ💦)

そして、

自分あるいは他人の行動もすべて正解であり経験なのです。

なので「善悪というものは宇宙には存在しない

ということですよね、悪であるというジャッジは必要ありません。

 

ジャッジしないという事は、

自分のようなものが他人を決めつけるだなんていけない事だ

という見方にしてしまうと、

度々、わかっていても他人を批判したりジャッジしたりという癖からなかなか

抜けれれないというものです。

転生とカルマの法則があると仮定するのなら、勝手に宇宙が行うことであり

ジャッジは必要ありません。

 

疑問その三 間違いなんて無い

ジャッジの続きのような話ですが、

他人から見て間違っていると思える判断も真剣に自ら考えだして得た答えは

すべて正解です。

たとえそれが今回の人生を棒に振ることになってもです。

 

これもカルマの法則があるなら、

もしも宇宙視点からみて間違っている事、

というか、学習し直さなければいけない事であれば、勝手にカルマの法則で

いつか自分で刈り取るから。

 

こう考えると、理不尽な人に遭遇しても怒ることなく、

ああ、この人はまたやり直しかもな」と思えるかも・・・

 

いちばんいけない事は「自らの頭で考えない事」です。

間違っていても自らの頭で考える、間違っていれば永遠にやり直す。

こういう事だと思います。

 

 

ついでに「ナポレオン・ヒル

 

思考は現実化する」で有名なナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け

で悪魔がいうには「流される」ようになった人間はお前たちが「地獄」と呼ぶ

場所へまっすぐに向かうと言います。

自分の頭で考える人間は決して流されないと。

「流される」人間の思考をコントロールし、悪魔の考えを植え付けるとの事。

ナポレオン・ヒルの信憑性は諸説ありますが、なかなか納得できる内容であり、

なるほどな、と思わされます。

 

そして、この本の中に出てくる特徴的な言葉に

ヒプノティック・リズム」というものがあります。

大自然の法則であり、繰り返す思考は一定のリズムを形成する、

一度このリズムに乗ると抜けられず、永遠に流される人間となり、

悪魔に支配される。(悪循環から抜けられない)

抜けることが出来るとすれば、失敗した時こそがチャンスであるといいます。

逆にいうと、

肯定的な思考や行動でヒプノティック・リズムをよいものに変える事もできる。

 

 


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疑問その四 悪がなければ善が成立しないについて

また、

悪魔が言うには「善が成立するためには悪が必要だ」と述べていました。

 

よく言われることながら、個人的には悪はすべて無くなってほしいなあ…

と思ってしまいますが、この世界を二分し、成立させる要素なのです。

 

 

 

仏教的な思考も入りますが、

わたし達は何も無い真空の意識から、体験する為に生まれた存在だとすると、

体験プログラムの中に「悪」の要素が無ければ、刺激のない「無」とあまり変わり

がなく、

様々な体験をするために確かに「悪」は必要だなあと思いました。

しかし、万物はすべて昇華され「無」に戻るサイクルだと過程すると、

「悪」もやがて昇華しきってしまえば、ひとつの宇宙が終わり、

再びビックバンがおこりまた始まるのではないかと思いました。

 

真実を知ることは出来ませんが「考える事」が重要ですね。

 

 

追記:カルマは存在しないという教えも存在していますが、わたしも

   自分の行いを刈り取るといっても、あまりよい行いではなかった

   出来事や、人を苦しめてしまった事などが全く同じ出来事で

   自分に返ってくるとは思いません。

  (あるいはかえって来るかもしれませんが…)

   うまく説明出来ませんが、様々なシチュエーション、

   転生する惑星すらも違うかもしれませんし、バチが当たるという

   ような事ではでなく、学習するといった感じでしょうか。

   魂の成長が目的であるならば、正しい学習プログラムにするには、

   カルマ=魂が向上するために必要なこと はある方が自然かなと

   思います。

           

   

 

 

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